福祉の仕事を長くしてきて感じるのは、子育ての相談が「子どものこと」だけで完結することは、あまりないということです。
子どもの行動や発達についての相談の背景には、保護者の方の心身の状態、夫婦関係、仕事、経済状況、祖父母との関係、地域とのつながりなど、さまざまな事情があることを、これまでの仕事の中で感じてきました。
一つの家庭に、複数の困りごとが重なっていることも珍しくありません。
子育てが苦しくなるのは、親の努力や愛情が足りないからとは限りません。
親が弱くなったわけでも、家族が怠けているわけでもありません。
家族の形や働き方、地域とのつながり方が変わる中で、いくつかの事情が重なれば、どの家庭でも抱えきれなくなる可能性があります。
この記事では、特定の家庭や親を責めるのではなく、なぜ子育てが苦しくなることがあるのかを、家庭と社会の両方から考えてみたいと思います。
子育ては、親だけで完結するものではありません
子どもを育てる責任は、基本的には保護者にあります。
ただ、子育てのすべてを、親だけで完結させることは難しいと思います。
子どもが生まれれば、生活は大きく変わります。
十分に眠れない日が続くこともあります。自分の時間を持てなくなることもあります。仕事や家事との両立に追われることもあります。
子どもの成長や発達には、一人ひとり違いがあります。
育児書やインターネットに書かれているとおりには進まないことも多く、何が正解なのか分からなくなることもあります。
そんなとき、相談できる人や、少し頼れる場所があれば、家庭だけで抱えずに済むことがあります。
親族、友人、近所の人、保育所、学校、医療機関、行政、福祉サービス。
誰か一人が家族を抱え込むのではなく、必要に応じて別の人や場所へつないでいく。
子育てには、複数の人や仕組みが関わる余地が必要なのだと思います。
家庭を取り巻く環境は変わりました
現在は、共働きや、親と子どもを中心とする世帯が多くなっています。
内閣府の「令和7年版男女共同参画白書」によると、2024年時点で、共働き世帯は専業主婦世帯の3倍以上となっています。
また、厚生労働省の「2024年国民生活基礎調査」では、児童のいる世帯のうち、「夫婦と未婚の子のみの世帯」が79.2%を占め、三世代世帯は10.7%でした。
進学や就職をきっかけに、親族の住む地域から離れて生活している家庭もあります。
近所にどのような人が住んでいるか分からず、地域の人と話す機会がほとんどない場合もあります。
一方で、仕事、家事、育児、学校や保育所との連絡、通院、各種手続きなど、家庭が担うことは少なくありません。
インターネットを開けば、子育てに関する多くの情報が見つかります。
情報が増えたことで助かることもありますが、さまざまな意見を見比べるうちに、かえって不安になることもあります。
「もっと子どもと向き合わなければならない」
「食事はこうするべきだ」
「この時期には、これができていなければならない」
求められる子育ての水準が高く感じられ、十分にやっていても、自分を責めてしまうことがあります。
昔の子育てにも、現在とは違う大変さがありました。
そのため、「昔は地域みんなで育てていた」「昔の親はもっと頑張っていた」と、単純に比べることはできません。
ただ、家族の形や働き方が変わっているのに、子育ての負担の多くが、今も家庭の中に残っている部分はあるように思います。
子育てが苦しくなる背景は一つではありません
子育てが苦しくなる背景には、さまざまなものがあります。
例えば、妊娠中や出産後に、心や体の調子を崩すことがあります。
十分に眠れず、疲れが取れない状態が続くこともあります。
仕事が不安定になったり、物価や住居費の負担によって、生活に余裕がなくなったりすることもあります。
夫婦の間で、
- 子どもへの注意の仕方
- 生活習慣
- 家事や育児の分担
- 医療や福祉サービスの利用
- 子どもの進路や教育
について、考え方が合わないこともあります。
祖父母が子育てを手伝ってくれていても、親世代と祖父母世代で、しつけや子どもとの関わり方が違うこともあります。
祖父母には、祖父母なりの経験や善意があります。
一方で、以前は一般的だった関わり方が、現在の子どもの権利や発達に関する考え方とは合わない場合もあります。
どちらか一方を悪者にするだけでは、家族の中のずれは解決しません。
子どもに障害や発達上の特性がある場合には、保護者が状況を理解し、受け止めるまでに時間が必要なこともあります。
親が思い描いていた子育てと、実際の子育てに大きな違いがあれば、戸惑うのは自然なことです。
ただ、戸惑いや不安が大きいまま、必要な支援につながれない状態が続くと、親も子どもも苦しくなることがあります。
日本の制度や生活習慣に慣れていない家庭では、言葉の違いだけでなく、どこで何を相談できるのか分からないこともあります。
年齢や国籍、家族構成などの属性だけを見て、その家庭の困りごとを判断することはできません。
家庭の余力を左右するのは、属性そのものではなく、どのような事情が重なっているか、そして相談できる人や場所があるかどうかだと思います。
問題は、困りごとが重なることです
一つの困りごとだけであれば、家庭の中で対応できることもあります。
しかし、
- 睡眠不足
- 産前産後の不調
- 夫婦関係の悪化
- 経済的な不安
- 子どもの育てにくさ
- 祖父母との考え方の違い
- 仕事の負担
- 周囲との孤立
などが同時に重なると、家庭の余力は少しずつ失われていきます。
例えば、子どもが夜に何度も起きるだけでも、保護者の心身には負担がかかります。
そこに仕事の忙しさや夫婦間の対立、経済的な不安が加われば、普段なら受け流せる出来事にも、強く反応してしまうことがあります。
「なぜ、そんなことをしてしまったのだろう」
外から見ると不思議に思える行動にも、その前に積み重なっていた事情があることがあります。
もちろん、事情があれば、子どもを傷つけてもよいわけではありません。
暴力や虐待など、子どもの安全に関わる問題がある場合には、安全の確保が最優先です。
ただ、問題が起きた後に親を責めるだけでは、同じことが別の家庭で起きるのを防ぐことは難しいと思います。
何が重なり、どこで家庭の余力がなくなったのか。
どの段階で、誰かが関わることができたのか。
そこまで考える必要があります。
「困った家庭」ではなく、困りごとが重なっている家庭
支援の現場では、対応が難しい家庭を「困った家庭」と見てしまいそうになることがあります。
連絡がつかない。
約束した時間に来ない。
必要な手続きを進められない。
助言を受け入れてもらえない。
外から見れば、支援を拒んでいるように見える場合もあります。
しかし、その家庭は「困った家庭」なのではなく、困りごとが重なっている家庭なのかもしれません。
書類を読めないのかもしれません。
仕事を休めないのかもしれません。
子どもを連れて相談へ行くことが難しいのかもしれません。
誰かに相談すれば、自分を責められると思っているのかもしれません。
過去に相談したときの経験から、支援機関を信用できなくなっている可能性もあります。
家庭を一つの言葉で分類すると、その家庭が抱えている事情は見えにくくなります。
問題のある親、難しい家庭、支援を拒む家庭。
そのようなラベルを貼る前に、何がその家庭の行動を難しくしているのかを見る必要があると思います。
相談できないことも、困りごとの一つです
「困ったら相談してください」と書かれた案内は、さまざまな場所にあります。
しかし、本当に困っているときほど、相談先を探したり、自分の状況を説明したりする余力が残っていないことがあります。
そもそも、自分が何に困っているのか整理できないこともあります。
子どもの発達について相談するのか。
夫婦関係について相談するのか。
生活費について相談するのか。
自分の心身の不調について相談するのか。
困りごとが複数あるほど、「結局、どこに相談すればよいのか分からない」という状態になりやすいように感じます。
こども家庭庁の調査では、子育ての負担感と孤立感の両方を感じている人は、ほかの人に比べて、子育てについて相談できる人がいる割合が低いという結果が示されています。
また、行政機関へ直接相談することに抵抗を感じる家庭があることを前提に、身近で相談しやすい「地域子育て相談機関」の整備も進められています。
制度が用意されていても、存在を知らなければ利用できません。
制度を知っていても、自分が対象だと思えなければ、相談にはつながりません。
申請書類が難しかったり、窓口が平日の日中しか開いていなかったりすれば、利用を諦める家庭もあるかもしれません。
支援につながらないことを、本人の意欲だけの問題にしてはいけないと思います。
相談したくないのではなく、どこへ相談すればよいのか分からない。
相談する時間がない。
相談した後に何が起きるのか不安で、動けない。
そうした状態も、家庭が抱えている困りごとの一部です。
家庭だけに変化を求めても、立ち行かないと思います
子育てについて問題が起きると、家庭に変化が求められます。
もっと子どもと向き合ってください。
夫婦で話し合ってください。
祖父母との関係を調整してください。
生活習慣を整えてください。
支援機関に相談してください。
どれも必要な助言になることがあります。
しかし、家庭に努力や工夫を求め続けるだけでは、限界があります。
仕事を休めない家庭に「相談に来てください」と伝えるだけでは、つながれません。
頼れる人がいない家庭に「周囲に頼ってください」と伝えても、頼る相手がいません。
心身の調子を崩している人に、複雑な申請や予約を求めれば、その制度を使う前に力尽きてしまうこともあります。
家庭の形や暮らし方が変わっているのであれば、制度、職場、地域、学校、医療、福祉など、支える側の仕組みも変わる必要があります。
これは、家庭の責任をなくすという話ではありません。
家庭が担う部分と、社会が支える部分の境目を、現在の暮らしに合わせて見直すということだと思います。
社会の側も少しずつ変わり始めています
社会や制度が、何も変わっていないわけではありません。
子育て家庭が地域の中で孤立しないように、妊娠期から継続して相談を受ける仕組みや、親子が立ち寄れる場所、家庭を訪問する支援などがつくられています。
保育所などを普段利用していない家庭にも、地域の施設との接点をつくろうとする制度も始まっています。
例えば、こども誰でも通園制度は、保護者の就労状況にかかわらず、一定の条件を満たすこどもが保育所などを利用できる仕組みです。
制度の目的には、すべてのこどもの育ちを応援することに加えて、働き方やライフスタイルにかかわらず、すべての子育て家庭への支援を強化することが掲げられています。
公式の手引では、こども誰でも通園制度を、地域の子育て支援や、支援が必要な家庭への対応などと連動させることも望ましいとされています。
これまで保育所などとの接点が少なかった家庭が、地域の人や支援とつながるきっかけの一つになる可能性もあると思います。
こども誰でも通園制度の対象・料金・利用前の注意点。一般型と余裕活用型の違いとは?
ただし、新しい制度をつくれば、すべての家庭に自動的に届くわけではありません。
制度を知らない人にも情報が届くか。
利用したいときに、利用できる場所があるか。
手続きが分かりやすいか。
支援を利用することへの不安を減らせるか。
制度が存在することだけでなく、実際に使えるところまで考える必要があります。
支援は、家庭が壊れてから始まるものではありません
支援という言葉を聞くと、大きな問題が起きた家庭や、特別な事情がある家庭が利用するものだと思う方もいるかもしれません。
しかし、家庭が抱えきれなくなる前に、誰かと話すことも支援の一つです。
子育てについて、少し不安がある。
夫婦の考え方が合わず、疲れている。
子どもへの接し方に迷っている。
誰とも話せていない。
どこに相談すればよいのか分からない。
それだけでも、誰かに話してよい理由になります。
支援する側が、家庭に深く入り込んで、すべてを解決する必要もないと思います。
話を聞く人がいて、必要に応じて別の相談先へつなぎ、複数の人や場所で支える。
一人が家族を抱え込むのではなく、必要なときにパスできる先がある。
そのような仕組みが、家族にも、支援する人にも必要です。
妊娠・出産、寝られない、つらい、誰に相談すればいい?〜親のことも子のことも相談できる「子ども家庭支援センター」
「どこに相談すればいいかわからない」を解決したくてツールを作りました
まとめ|家族だけで抱えなくてもよい社会へ
子育てが苦しくなる背景は、一つではありません。
親の心身の状態、夫婦や祖父母との関係、仕事、経済状況、子どもの特性、文化や制度との距離、地域とのつながり。
一つひとつは、どの家庭にも起こりうることです。
そして、複数の事情が重なれば、これまで生活できていた家庭でも、余力を失うことがあります。
だから、子育ての問題を家庭だけの責任にすることはできません。
一方で、社会や行政だけを悪者にしても、状況は変わりません。
家族の形や暮らし方が変わる中で、家庭と社会の間に生まれたずれを、一つずつ調整していく必要があるのだと思います。
困っている家庭ではなく、困りごとが重なっている家庭として見ること。
相談できないことも、困りごとの一つとして考えること。
家庭に変化を求めるだけでなく、支援する側も届き方を変えること。
その積み重ねが、家族だけで抱え込まなくてもよい社会につながるのではないでしょうか。
知っていさえすれば、もう少し早く誰かに話せたかもしれません。
つながる先が一つでも見えていれば、家族だけで抱えずに済んだかもしれません。
支援は、家庭が壊れてから始まるものではありません。
しんどくなる前に、話してもよい場所があることを、少しずつ届けていけたらと思っています。
子育てが苦しくなる背景を考えたうえで、そもそも親になる前に何を知る機会があればよいのかも考えてみました。
参考・出典
- 内閣府「令和7年版男女共同参画白書」
- 厚生労働省「2024年(令和6年)国民生活基礎調査の概況」
- こども家庭庁「妊婦や乳幼児とその保護者を取り巻く生活実態調査」
- こども家庭庁「地域子育て相談機関」
- こども家庭庁「こども誰でも通園制度について」
- こども家庭庁「こども誰でも通園制度の実施に関する手引」
※この記事は、福祉現場での経験をもとに、個別の事例ではなく一般化した内容として書いています。特定の家庭や人物について書いたものではありません。
ゆるきりん🦒
