今回は、心の中でずっと思ってきたこと、いつか実現させたいと思っていることを記します。
結論
私は福祉現場で約20年働いてくる中で感じてきたことがあります。
大切なのは、誰でも気軽に立ち寄れる“出会える場所”を作ることなのではないかと思っています。
それはリアルな世界でもいいし、オンライン世界でもいいのだろうなと思っています。
どちらかというとリアルな世界で出会える方がより良いかなくらいには思っています。
人と人とが自然に支え合うことでありたい
「助けたい」「救えるなら救いたい」ということが全くないわけではないと思うのですが
それはそれで傲慢というか、支援をする者と支援を受ける者という感じがしてシックリきません。
困っている人がいたら自然と手を貸す、肩を貸す、そういう関係がいいのではないかと考えています。
支援者と被支援者の”かしこまった関係”に引っかかっている
福祉の現場では「支援する側」と「支援を受ける側」という役割で動く場面が多いです。
制度として必要なのは理解していますし、役割があるから動けることもたくさんあります。
とはいえ、その「かしこまった関係」が、ときに本音や自然な変化を阻んでいる気がするんです(個人の感覚です)。
役割を外すと、同じ世の中に生きる人と人です。
「人と人」として出会えている時のほうが、自然な変化や核心に触れる話が聞けると感じてきました。
例えば、支援として話をしている時よりも、帰り際の立ち話で本音がぽろっと出ることが度々あります。
大学のゼミ室で私は救われていた
学生時代のゼミの先生は「ゼミ室はいつでも開けておくから、私がいなくても居ていいよ」と言ってくれていました。
卒論や就活でつらい時期に、ただそこに居るだけ、誰かと話したり・話さなかったりできる場があった。
先生は特別なことをしてくれていたわけではないのかもしれません。(意図的な気もしています・・・)
ただ場を開けておいてくれただけです。
当時は”助けられている”なんて感覚はありませんでしたが、その空間が自分を支えてくれていたのは確かです。
人がその場にいるいないに関係なく、受け止めるよというメッセージが何かで伝われば、それが安心感につながるのだと思います。
居場所事業が好きな理由 — 相談があってもなくてもいい
最近、私は居場所事業に関心があります。
好きな理由は、「誰が来てもいい、誰がいてもいい」ということです。
相談に来る場ではなく、ただただ居ていい場所。
相談がなくても、ただいるだけで誰かと出会い、知らず知らずのうちに何かが変わるかもしれない。
そういう場所がもっと増えたらいいと常に思っています。
結果として、相談に至る前の段階で気持ちが少し楽になって帰る人もいると思います。
予防的な福祉の観点からも、居場所の意義は大きいと感じています。
(相談先や居場所を調べられる「福祉サービスかんたんナビ」も作っています。よければのぞいてみてください。)
「救う」より「出会える場所」を作る
私は前のめりに「救おう」とはしません。
ただ、何もしないわけでもなくて、色々と分析や支援のイメージは持ちつつ、表面はかしこまらない関係で
いたい。
気づいたら誰かの役に立っていた、くらいがちょうどいい。
これは現場でも、ブログでも、いつかやりたいペンションでも同じだと思っています。
困る前に届く情報があったらいい。
気軽に立ち寄れる場所があったらいい。
そこで居合わせた人とふっと話せたらいい。
「救う/救われる」より「出会える場所を作る」
20年の現場経験を経て、私がやりたいことがよりハッキリしてきています。
ただただ出会える場所があればいいな。
それだけで、人は少し楽になっていけると、私は信じています。

参考
※この記事は夫婦の現場経験をもとに書いています。随時更新・指摘歓迎。
ゆるきりん🦒

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